第1回 SWITCH編集長 新井敏記さん


新井 敏記

1954年生まれ。茨城県出身。1985年『SWITCH』、2004年『Coyote』、2012年『MONKEY』を創刊。編集長、インタビュアー、ノンフィクション作家。スイッチ・パブリッシング代表。著書に、『モンタナ急行の乗客』、『池澤夏樹 アジアの感情』、『鏡の荒野』、『人、旅に出る』など。2015年 第7回 伊丹十三賞受賞。

「SWITCH PUBLISHING 」

http://www.switch-pub.co.jp

 

― どのような思いで『SWITCH』を創刊されましたか?

書くのが好きで、書いたものを雑誌に持ち込んで誰かに評価してもらうってことよりは、自分が書いたものを自分が評価すればいいと思って雑誌を作りました。長く書いても短くしろって言われない。僕は中学時代から雑誌を作ってきた。僕にとっては書く=表現の場として雑誌があるんです。

― インタビュアーとして、インタビューをする時に気を付けていることはありますか?

やっぱりその人が好きだということです。その人の時間を一時頂く訳じゃないですか。ですから、それをまたとないいいものにしたいという思いです。楽しい時間にしたいってこと。同時にかけがえのない時間にしたいと思っています。その人の事をよく調べて、他にないようなインタビューをしたいということを心掛けています。その方に出会ってその人の人生の軌跡を辿る。色んなものを教わるじゃないですか。

例えば、あなたは星野道夫を好きだという。では星野さんの何が好きかっていうことを考える。それがインタビューのきっかけになる。僕自身は星野さんの語り口が優しい文章が好きなんです。もちろん写真は素晴らしい。星野さんは写真や文章を通してアラスカというまだ見たことのない世界を僕たちに教えてくれた。僕には同時代として星野さんが生きていた。だから一緒に歩むことが貴重だったんです。アラスカから日本に戻って来た時、つかのまの時間に何度かお目にかかることがあったんです。そして僕は星野さんにどういう旅をしたか、どういう人逹と出会ったかということを聞くのがものすごく好きでした。そして僕は星野道夫のことを雑誌で紹介したいと思いました。『SWITCH』は1985年創刊です。今年34年目になるのですが、星野道夫を『SWITCH』で1994年に特集しました。特集を作ったことによって、アラスカがもっと身近なものになった。そして星野の話をもっと聞きたいと思いました。僕も星野の後を追ってアラスカに行きたいと思った。インタビューは一つのきっかけであって、その人の仕事だったり、その人の生き方みたいなものを教えてもらうっていうのがすごく大きいです。

本も同じだと思う。読書を通して作家の呼吸が聞こえてくる。文体一つひとつ、写真にしてもその人がどういう風なことを見ていたかっていうのがわかるじゃないですか。その感覚が、僕は好きなんです。

― 今まで多くの方にインタビューをされていますが、出会った中で素敵だと思った人は誰ですか?

いっぱいいすぎて、パンクしそうなんですけど。でも、圧倒的に忘れている。

― 忘れるんですね(笑)。

忘れるんです(笑)。でも素敵だったのは、やっぱり笠智衆さんですかね。笠智衆さんは、小津安二郎監督の映画で有名な俳優です。代表作は『東京物語』。笠さんに出会って明治の気骨のある人の生き方を知りました。中でも印象的なのは、写真家が小津安二郎さんのお墓に行って、お参りしている笠さんの写真を撮ろうと思った。小津さんのお墓を後ろにして笠さんを前に立てて記念撮影を撮ろうと思ったんです。「笠さんこちらを向いてください」と写真家が声をかけると、笠さんは「嫌です」と答えた。今まで全く嫌って言ったことのない笠さんがなぜと驚いて「どうしてですか?」と僕が聞いた。笠さんは「小津先生にお尻を向けられません」と言う。その立ち振る舞いに感動しました。笠智衆さんの品、自分がどう生きてきたのか、小津先生と笠さんは言われていましたが、小津安二郎への想いが溢れている。忘れられない思い出深いことです。

― 素敵な方、女性ではいらっしゃいますか?

樹木希林さん、とても面白い方でした。正直なんです。つまらないのはつまらないって言う。嫌なものは嫌だって言う。希林さんは、失うものは何もないくらいに凛としている。

― 雑誌を作っていて一番面白いと思うことは何ですか?

その人が生きていると僕らも影響を受けるし、僕らが作ったものに対して少なくとも何か影響を与えることがあるということを知りました。俳優の緒形拳さん、彼は書家としても知られた方で、ある時緒形さんの展覧会に行った。会場でご挨拶をした時に「俺は若い俳優にSWITCHに出るくらいにがんばれって言うんだよね」。それはものすごく嬉しい言葉でした。『SWITCH』に出るってことは大切なことなんだからと緒形さんは言われた。その言葉に気持ちを律する思いです。

― 雑誌を作っていて一番大変だと思うことは何ですか?

もういっぱい。この時代に紙をやるんですよ。アナログ的な。だから大変なのはみんな大変ですけど。やっぱり、絶えず新しいものを作りたいって思う。前の号よりいいものを作りたいと思うし、出会った方をどう表現するか、もっともっとよく伝えたいと思う。雑誌は効率が悪いメディアだと思っています。取材ひとつ考えると遠回りした方がいい。時間をかけるほど取材は豊かになる。調べ物をする。例えばネットで調べるんじゃなくて、図書館に行って調べる。それでも足らなかったら、人に聞く。リサーチに時間をかけるほど取材は強くなるんです。その人にしかできないものになるから。ネットで調べると、色んな情報が入る。でもそれをベースにすると浅いんです。

Coyote No.2 november 2004

― SWITCHに直結した地下のブック&カフェの「Rainy day」という名前はどのような思いでつけられましたか?

「晴耕雨読」です。古事にならって雨の日に本を読む。晴れたら畑に行って耕す。だから「Rainy Day」。また「Rainy Day」はすごくいい響きでもあると思って。隠語で「まさかの時に」という言葉の意味があると聞いてますます気に入っています。

― 若い世代に伝えたいことはありますか?

遠回り。

― 思い出の一冊を教えて下さい。

思い出の一冊は大江健三郎の『芽むしり仔撃ち』です。僕はこの本を15歳で読んだ。物語の主人公も15歳だったんです。ある兄弟がいる。その中で弟が主人公。舞台は四国愛媛県の内子という谷合いの村。僕も自分が住む場所をこの舞台に置き換えてまるで主人公になっていた。もちろん小説の戦後の過酷な状況とは訳は違うんですが、あえて読み換えてハラハラドキドキ、主人公がその先どう生きていくのかとか、どういう人達に出会うのか。魅力的な女の子も出てきて恋愛していくのか、その先にどうなっていくのか興味を持って読んでいきました。兄弟にとって大人は全部悪だった。僕にとっても大人は別に模範となるようないい存在ではなかった。学校の先生も自分の価値を否定する訳のわからない存在だった。

大江健三郎さんの作品と出会ったのが大きかったです。それまではスポーツ少年で、野原を駆けるのが一番好きだった。いたずらばっかりしてよく怒られたこともあったし、学校の先生からも嫌われていたので。そういう意味でこの主人公の疎外感を、勝手に読み換えて、自分のものだと思っていました。

― 最後に、PONYO BOOKSにアドバイスを頂けますか?

好きなものをやって下さい。好きなものだったら、やっぱり長続きするから。

ポニョっていうのは、あのポニョからきているの?

― はい。できれば、あのポニョになりたくて(笑)。

何で?魔法?

― かわいいですよね。すごく純粋で。主人公の宗介を好きという思いだけで生きているというか、そういう所が好きで。人間ってそうありたくても、なかなかできないですから。そうなれたら幸せだろうなという気持ちと、自分の体型がぽにょっとしているから、ぽにょって。

そうなんだ(笑)。

― この度は貴重なお時間を頂戴し、本当にありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。


第1回 新井敏記さん

思い出の一冊 『芽むしり仔撃ち』 大江健三郎著 講談社

2018年 6月18日 


聞き手/写真/編集/ 藤川 加弥