第5回 刈谷市美術館 学芸員 松本育子さん

松本 育子

東京都出身 名古屋大学大学院教育発達科学研究科修了。1989年より学芸員として愛知県刈谷市美術館に勤務。現在は刈谷市美術館館長代理。

刈谷市美術館

https://www.city.kariya.lg.jp/museum/index.html

― 学芸員という仕事に就こうと思われたのはいつ頃でどのような経緯でしたか?

私の父が彫刻家だったんですね。その姿を見ていて、表現者は大変な面もあるけど楽しい仕事だなと思っていました。ただ、制作の期限が迫ると気持ちが荒れてきたり、アトリエがピリピリしたりして。アートは好きだったんですけど表現者として生き続けるのは辛いなと思うようになってきました。でも、アートには何か関わりたいとは思っていたんです。

中学生の頃に父から学芸員という仕事について聞いていました。自宅にもアトリエがあったので、その頃は無邪気に制作できていたんですが、段々違うなと思い始めていたんです。高校生の時には学芸員になろうかなと思っていました。子どもと美術がどう関わるかという観点があったので、教育学部に進んで学びました。でも、80年代末の大学院生だと学芸員の就職先があまり無かったんです。当時だと男子が優先という背景もあって。たまたま、刈谷市美術館に募集があって公務員試験を受けて採用になりました。

― 学芸員はどのようなお仕事ととらえていますか?

色んな人と深く関われる仕事だなと思います。作家さんや展覧会の関係者の方や、ご覧いただいている方々。同じ目的に向かっていても、学芸員として、どういう観点でそれに関われるか。展覧会の在り方というのもその学芸員の度量次第ですごく変わるところがあるんですね。それを刈谷市美術館という地域密着型の美術館でどのように展開していくと、色々な方と関われるのかなというのを少しずつやってきたのかなと思います。ただやって終わりではなくて、それをきっかけに関わりをどう続けていけるのかということですね。

― 刈谷市美術館の展示内容が素晴らしいなとよく思うのですが、それには何か理由はありますか?

当時、私が絵本とかイラストレーションの展示をやろうと思っていた時に、それをしていた学芸員が県内や東海三県に誰もいなかったんですね。『いないいないばあ』の絵を描かれた瀬川康男さんや、装丁をされた辻村益朗さんも愛知県の方だったんですけど、当時は紹介されていなかったんです。それで私がやろうと思いました。また、博物館法で言われている美術館の活動には、収集保存・展示公開・調査研究・教育普及というのがあって、それを全て網羅できるコレクションになりうるのかなと思いました。刈谷市美術館は行政の管轄ですが、企画展の内容などはかなり自由に決められます。きっと私の性格があるかもしれないですけれど、世界や国内では前例があるので、たまたまこの市がやってなかっただけだよねという感じですね。

― 先日のミロコマチコさんの企画展の展示の仕方が素晴らしかったです。どのように作られているのでしょうか?

他の美術館の学芸員さんや新聞社の事業部員さん、ミロコさんやデザイナーさんなどのミロコチームで展覧会を作っています。限られた美術館のスペースでどう順路を仕立てていくといいかなというのは考えました。初めの展示図面は私が書いています。ミロコ展の図録で仕事データを担当したので、ミロコさんの手元にあった本や雑誌を送ってもらっていて、それらも特別に展示しました。巡回会場の中で刈谷市美術館は一番狭いんですけど、たくさん展示したという感じですね。原画からいきなり本になるわけではなく、デザイナーさんや編集者の手を通じて本という存在ができるものなので、そのあたりも感じて欲しいなと思いました。本好きの方やお子様や大人や年配の方にも楽しんでもらえたようです。

内容はミロコチームでオンラインのやり取りをして何度も話し合いました。それには今のミロコさんを最大限いい形でみなさんにお届けしたいというミロコチームの願いがありました。それを貪欲にやったことが伝わったのかもしれませんね。

― 学芸員のお仕事で楽しいと感じることは何ですか?

作家さんと向き合ってお話して、作品調査をして、展覧会ができることが楽しいですね。ものすごく作品調査をするタイプなんです。それをガサという言い方をするんですけど。例えばせなけいこさんの時は、書庫に残っている原画を全部、横須賀美術館に運んでそれで構成をしたりだとか。調査をするということが、苦しいですけど楽しいですね。

― 大学生に美術館で展示説明をされていた時に、アートは楽しいということを伝えたい、という気持ちをとても感じました。その思いはどこからくるのでしょうか?

それはきっと私が教育出身だからだと思います。展覧会を作ったら終わりじゃなくて、それを通じて、ご覧になる方々に作家さんの魅力をどれだけ伝えられるかとか、共感してもらえるかというのが、とても大切で醍醐味だと思っているからかも。それと、性格的にはっきりしている方だと思うので、昔から関心の無いことは一切やらないっていう。その代わりやると決めたことはやり抜く。それが伝えたいことが伝えられる学芸員という職にハマったんでしょうね。

― 印象に残っているアーティストさんはいらっしゃいますか?

「すてきな三にんぐみ」という絵本を描いたトミー・ウンゲラーさん。レオ・レオニさんに才能を見抜かれた人なんです。彼の過ごした人生もすごいんですが、制作に立ち向かう姿や作品のバックボーンの深さをかっこいいなと思いましたね。

― 大学生に将来のアドバイスをされていて、学芸員もいいけど編集者もおもしろいよと言われていたことが印象的でした。

キュレーションするという行為が学芸員と似ていると思うんですね。展示空間がないってことや、コレクションするということはないですが、本という形で出版されて残っていきますし。作家さんと信頼関係も作らなければいけない。経験が生かされるおもしろい仕事だと思います。

― 思い出の一冊を教えてください。

「うさこちゃんとどうぶつえん」です。幼い時に自宅にあった絵本なんです。この中のオウムが向き合っているページの色彩の組み合わせが大好きですね。初版の表紙の題字は呪いのよう明朝体で、この明朝体とブルーナの絵との落差が好きだったんですね。黄色と緑の組み合わせがものすごく心地がよいし、元気をもらえるんです。

第5回 松本育子さん

思い出の一冊 『うさこちゃんとどうぶつえん』 ディック・ブルーナ 福音館書店

2021年7月10日